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【在りし日の内海好江と弟子の記憶コラム】師匠との別れ

 

<笑組・ゆたかの「さて、今回のおはなしは」師匠のこと。第19回>

 

検査結果の一週間後、5月8日に手術と決まりました。

当日は仕事で術前に会えないため、7日に相方氏と病院へ。但しあくまでも『幽門狭窄』の手術。

病室で何を話したか、よく憶えていません。きっと話さなかったからだと思います。話せば筆者、口をすべらせる質なので・・・

ただ一つ、枕元に真新しい日記帳があったので、「日記、始めるんですか?」と訊ねた事を憶えています。

「そう。もらったのよ。10年先まで書き込める日記帳なんだって。手術が済んだら始めるの。」

字を書く事が苦手だった好江の、克服に対する決意表明だったんでしょう。

 

8日夕方、笑組が病院へ着くと義妹さんが

「ちょうど良かった。さっき手術終わったのよ。悪い所は全部除いてもらったから。」・・・安心。

その日は麻酔から覚めないとの事だったので、翌9日に病院へ。今度は一人で。

手鏡で自分の顔を見ながら満足そうに、

「大したもんだねぇ。癌取ったら顔の年寄りジミが消えちゃったわよ!」と好江。

実際どんどん体調は良くなって行きました。歩行許可が出ると廊下をぐるぐる・・・この時必ずナースセンターの前で止まるんです。

なぜか、わかります?

看護師さん達に「わぁ!奥田さん!もうそんなに歩けるんですか?」って言ってもらいたいから。・・・皆さんお忙しいのにご迷惑をお掛けしました。

 

退院までの一か月間、筆者は5〜6回泊まりの看病をして、いろんな話しをしましたが、この一か月が入門してから一番穏やかな時でした。十代の頃、あんなに恐ろしかった人とこんな時間が持てるなんて・・・こちらの成長か?あちらの衰退か・・・

 

退院の前の晩、6月7日の泊まり番は筆者でした。この晩の会話は今でもハッキリ記憶しています。

「あんた、うちへ来て何年になる?」

「足掛けで・・・12年になります。」

「もうそんなになるの!?早いね。」

「早いですね。」

「・・・ごめんね。」

「えっ!?」

「他に弟子がいなかったわけじゃないのにあんたが嫌な顔しないで何でもしてくれたから全部あんたに押し付けてきちゃって・・・ありがとね。」

「そんな事仰らないでください。むしろお礼を申し上げなきゃいけないぐらいです。」

「どうして?」

「師匠は弟子の修業をなさってないからお分かりにならないかもしれませんけど、弟子って師匠に当てにして頂く事ほど嬉しい事、無いんですよ。ですから、ありがとうございます。」

「あんた本気でそう言ってんの?」

「本気です。」

「そう・・・そんなもんかね・・・でもそう言ってもらうと気が楽になるわ。」

桂子・好江を師弟コンビとお思いの方がいらっしゃいますが、これは大変な勘違いです。好江の生前、当人達が「師匠じゃない。」「弟子じゃない。」と言っておりましたので。

そんなわけで、師匠を持たない好江には筆者の『弟子の主張』は今いち理解不能な様子でしたが、とりあえず安心はしたようでした。

 

退院後も週に1〜2度は好江宅へ行っておりました。別段何をするでもなく、話したり、マッサージしたり。

初めは元気だったんですが、7月の中旬頃からでしたでしょうか?見る度、元気が無くなって行くんです。口数が減り、動きも遅くなり、とうとう「またご飯が食べられなくなっちゃった・・・」

7月下旬。いつものようにマッサージをしていると、その日はやけにお腹がゴロゴロと音をたてるので、

「ずいぶんゴロゴロ音がしますね。腸の動きが活発になってきたんじゃありませんか?」

筆者が訊ねると、

「違うんだよ・・・お腹に水が溜まっちゃったんだよ・・・」

その晩、義妹さんに電話を。

「師匠、腹水が溜まってるって言ってます。良くなったんじゃないんですか?治ったんじゃないんですか?」すると・・・

「ゆた君ごめんっ!義姉さんもう駄目なのよ!手の施しようが無かったの。あんたには全部話しとくべきだった!!」

 

師匠、いなくなっちゃうんだ。

 

それからも師匠の家には通いました。

お互い残された時間が少ない事はわかっていましたが、いつも通り。それが一番いいと思ってましたから。

 

8月中旬のある日。この日は仕事へ行く師匠の身支度をしました。お付きを離れてずいぶんと経っていましたので、何年ぶりかの着付け。

帯、締められないんですよ。怖くて。

痩せちゃってるでしょ?師匠が折れちゃいそうで・・・怖くて締められないの。

「自分で締めるからいいよ。」

不思議ですね。それまで背中を丸めて、立ってるのも辛そうだったのに、帯を締めるとシャンッと背筋が伸びるんです。恰好良かった。

師匠に会ったのは、その日が最期でした。

なぜ会えなかったのか、詳しく書く事が出来ません。ごめんなさい。

 

平成9年10月6日、朝。

一番知りたくない、でも聞かなければならない報せが入りました。

その時、筆者の頭にあったのは唯一つ。

『旅立ちまで弟子の勤めを全うする。』

 

師匠が病院から帰宅する前に家へ行き、仏間を片して床をのべる。

葬儀社さんの指示に従い、鏡、縁起棚を隠し、枕花を飾る。

師匠、帰宅。

それまでは堪えていましたが・・・やっぱり泣きますよそりゃ。

「師匠、ごめんなさい!」

一つには、最期まで傍にいなかった事に。

そしてもう一つには、人前で泣く事に詫びました。

「好江さんお洒落だったんだから白装束じゃ可哀想よ。」松旭斎すみえ先生がそう仰ったので、すみえ先生に選んで頂いた舞台衣装に着替えさせてもらいました。確か、松を結び文に見立てた柄だったように記憶しています。

旅支度。手甲、脚絆を付けます。

入門当時、着物を包んだ風呂敷が立て結びになっていると「縁起が悪い!」と叱られましたが、なぜ縁起が悪いのか解りませんでした。

横たわる仏の脇に座って手甲、脚絆を付けるとどうしても立て結びになってしまいます。

この時に初めて解りました。

師匠から最期に教わった事です。

死に水を取る。水を含ませた綿で仏の口を湿らせますが、何人目かの時、事切れている師匠の目から一筋、涙がこぼれました。

ご覧になっていた故・コロムビア・トップ先生が「そうだよな・・・悔しかったよな好江!」と。

何が悔しかったのか?ご想像にお委せします。

 

葬儀は中野の宝仙寺さんで執り行なわれ、本当に沢山の方がお別れにお越しくださいました。

笑福亭鶴瓶師匠は翌日『笑っていいとも』の生放送があるにも関わらず、深夜3時過ぎまでお残りくださいましたし、ダウンタウンさんはお忙しいスケジュールの合間を縫って深夜2時過ぎにおいでくださいました。

ダウンタウンさんがお帰りになった後、鶴瓶師匠が仰った事、今でもハッキリ憶えています。

「あいつらな、普段はお弔いに来ぅへんねん。仏さん見んの辛い言うてな・・・今日かて来んのやろなぁ思てたんやけど・・・来たんや。よっぽど好江師匠が好きやってんな・・・」

なのに、です!!

以前ネット上に、鶴瓶師匠とダウンタウンさんが仏の顔に悪さをしてゲタゲタ笑ってた。なんて、とんでもないガセネタが流れていました!こういうのは赦せません!本当に別れを惜しんでくださってたんですから。筆者、ずっと見てましたから!

赦せない事と言えば・・・通夜の席上でのある方々の愚行が思い出されます。そのお名前や行ないは伏せさせて頂きますが、筆者は生ある限り忘れません!断じて赦しません!!

 

まんじりともせず翌朝。

なんかね・・・怖いんですよ。師匠といられる時間がどんどん、砂時計が落ちるように減って行くのが。だから眠れない。

でも別れの時間はやって来ました。

筆者は師匠に「ごめんなさい」と詫びた時に心の中で約束しておりました。

『お窯の蓋が閉まるまで泣きません!』

 

そして、ついにその時が・・・

 

それでもとりあえず、周りに人がいなくなるのを待って、

号泣しました。声を上げて泣きました。

一人で立っていられないほど泣きました。両脇を相方氏と義妹さんに支えられて泣きました。

「ゆた君!義姉さん喜こんでるわよ!あんたが弟子に来てくれた事、喜こんでるわよ!気が残っちゃうからそんなに泣かないで!兄貴の所へ行かせてやって!」そう義妹さんが仰ると相方氏が、

「泣かせてやってください!ゆた、ずっと泣かずに頑張ってましたから!今だけ、ここだけ泣かせてやってください!」

結局、三人とも泣いてるんですが・・・

 

怖くて、可愛くて、厳しくて、優しかった師匠との、これが12年間です。

長い間、駄文にお付き合い頂きましてありがとうございます。

全20回という事なので、あと一回。

どうしようかな・・・

 

<第19回終わり>

 


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この記事を書いた芸人記者

 

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